森の風について

森の風ようちえん

ようちえんの中心にあるもの

「森の風ようちえん」はキリスト教が根底にあります。
全てのいのちのつながりの不思議を見つめていくと、そこに誰かの意思、しかも愛と慈愛に満ちた計らいを感じます。
私たちはお米が育つのを世話をすることが出来ても、お米を作り出すことはできません。
まして、お米が育つのに必要な太陽も水も与えられているものです。そこにある目に見えない偉大な力への畏敬はいのちを大切にする心へつながります。
朝の会で静かに祈り、お弁当の前に感謝し、帰りの会でまた共に祈り一日の守りを感謝します。
「大好きな神様、きょうはお山に来ました。お母さんの作ってくれたおにぎりを食べてまた元気になれますように・・・」
と子ども達の言葉で祈る祈りはどんな立派な祈りより心を打ちます。

子ども達のうちに成長の種を与え、働いてくださる神様の恵みの手を子ども達のうちに見出すこと。
これが私たち大人の仕事であり、「幼子のようにならなければ神の国に入ることはできない」と言われたイエスに習うことであると考えます。

森の風ようちえんのあゆみ

2007年4月

森の風ようちえん開園

2008年

森の風田んぼ開墾
森の風ハウス 借用  

2009年

年少組の保育室増設

2010年

森の風キッズ開校
森の風ベビー開校

2011年

年中組・2歳児組保育室増設
森の風しぜん学校開校

2014年

小さな森のようちえん 開園
一般社団法人 森の風 設立
三重県野外保育研究会 開始

里で暮らすようちえん

1. 子ども達と田んぼ

森の風

えん長の、自分の食べるものを自分の手で作れないことへの焦燥感から田んぼが始まりました。
「いのちの原点により近いところへ子ども達を委ねたい」
耕作放棄地になっていた田んぼを生きた田んぼとして復元しました。
籾播きから刈り入れ、選別まで自分達の手を使い、みんなで協力してお米にします。

田植えをして、稲刈りをするだけではお米は作れません。
水を田んぼに引き、他の人のことを考えながら水・畦の管理をし、道もなおし・・・田んぼは、他の耕作者との協力が必要です。
その中で節々に祭りが生まれ、共同体が成り立ってきたことが伺えます。

手足を使って汗を流して働き、他の人と協働して、ようやく「ご飯」を食べることが出来るということが本当は当たり前のことなのですね。

自然と対話をしながら、作物を作り、共同体を大切にすることが自分達に食料や燃料を与えてくれる自然を大切にすることでもあった時代がありました。未来もそのようであるように、私たちは子どもたちと田んぼを作ります。

2. 子ども達と畑

森の風

子ども達に本当の味を伝えたい。汚れていない大地を遺したい。手を使うことの大切さと喜びを感じてもらいたい。自分達の食べるものを自分達で作ることを教えたい。いのちが繋がって、生かされていることを体で知ってもらいたい。そんな思いで畑を始めました。

農薬を使わないことは勿論のこと、肥料も使わないで野菜が育っています。
入れているのは剪定チップのみ。炭素資材を入れると、きのこ菌が活躍してチップを分解。微生物の住処がいっぱい出来ます。1gの土に億から兆の多種多様な微生物がバランスよく生きている土が良い土。ふわふわで柔らかく、雨が降っても水たまりが出来ず、ほとんど水遣りをしなくても野菜が活き活きとしています。団粒構造が出来て空気や水の通り道があるからです。棒を差し込むと1メートルはスーッと入っていきます。草取り、畝作りが楽チン!

微生物が野菜を育ててくれます。この仕組みはまだよく判らないそうですが、こうして肥料を施さない、農薬を使わないで育った野菜は優しく、生で食べても甘く美味しい味がします。
大切にしているのは、自然の山のように自分の力で土が出来、野菜が育つこと。人間の役目は微生物が増えるように助けること・・・・これなら子ども達にも出来ます。

3. 子ども達と里山

森の風

昔、里山はよく知られているように人々の暮らしの一部にありました。燃料林であり、きのこや山菜が食卓を彩りました。
「この辺はきのこがしっかり生えて、おれら裸足で走り回っても危なくなかった。」
と言われるように、薪や柴を取り、ごうも掻き、人の暮らしにとって山は生きていました。そのほとんどが今は藪になっています。
今、使われなくなった木は朝明の山でもカシノナガキクイムシによって楢枯れを起こし問題になっています。

藪になった2haの山を借り、森の風ようちえんを卒園した子達を中心に「森の風しぜん学校」を始めました。
目標は「きのこの生える山に戻す」です。
木を切り、所々に自分達の基地を作り、広場に東屋を作り、釜戸でご飯を炊き・・・少し前の生活の真似事をしています。

子ども達は自分達で考え、一緒に作業し、ご飯を作ることで自分の居場所を作り出しています。
子ども達がこの森の中でご飯を炊いたり、焚き火をする度に森の中の枯れ木や落ち葉が使われ、切り出した木も薪になります。
すると森の中に陽が入り、風が通りだし、きのこが生え、イワカガミが花を咲かせそれまで眠っていた草木の種が目を覚まし始めました。
それと同じように森は子ども達の感性を刺激し眠っていたDNAを目覚めさせます。

やってきた子ども達は吸い込まれるように森の中へ入りかしら遊びを作り出し、木に登り、岩の上に座り、鳥の声に耳を澄まし、昆虫を見つけ・・・それらは芸術や科学や学問、宗教の種として子ども達のからだに刻み込まれていきます。

4. 子ども達と山

森の風

「庵座の滝へ連れて行こう!この子達なら登れる」
バスの運転手さんがきっかけを作るまでは、幼児が山に登ることなどとてもできるものではないと思っていました。

高いところから落ちてくる滝に感動し、お母さんのおむすびを食べ終わるころ、雷が遠くに聞こえ始めました。
さあ帰らないと!と子ども達を促したときには、雨がぽつぽつと当たり始めました。
荷物をからげて、山を降り始めたら、ごろごろ、雨も強くなりました。
しかし、子ども達は「あめだ!かみなりだ♪」と歌いながら降りてきたのでした。
そして、子ども達は「お山で泊まりたい」「ご飯を炊く木もあるし」と意欲満々。

森の風が山に入った日でした。
その年から、何も無い山の中でキャンプをするのが年長さんのお泊り保育になりました。

山に登るには、自分の力でなければ登ることができません。自分の荷物ももちろん自分で持ちます。
あるところではとても辛くなる上り坂があります。あるところでは緊張して自分に集中しなければ歩けません。あるところでは眺望が開け、心が開放される場所があります。そして、自分のことだけを考えていては危険です。仲間のことを考えなければ歩くことができません。
人生は山登りのようです。
子ども達は時に黙って歩き、自分の次の一歩を自分で考えて、決め、歩きます。
時に仲間と感動を分かち合い・・そのようなことが幼児にもできるのです。驚きでした。

about

山で養われること

  • 危険を予測し、回避する力
  • 一緒に登る人のことを考え、助け合う力
  • 全体を眺める力・・・方向感覚や距離感など
  • 達成感・・やれば出来るという自信
  • 自然の偉大さ、美しさ、厳しさを豊かに体で感じる

これまでの山行き

朝明・・谷コース・・羽鳥峰・・朝明
朝明・・曙の滝・・朝明
朝明・・庵座の滝・・朝明
朝明・・ハライド・・朝明
朝明・・ブナ清水・・朝明 
朝明・・根の平・・愛知川でテント泊・・朝明
朝明・・根の平・・青岳・・ブナ清水・・朝明泊
裏道で御在所・・・ロープウェー
在所の山・・タカヤマ(標高約500m)・・歩いた距離13キロ(ようちえんから)

5. 子ども達といのち

森の風

「いのちの感覚が薄れてきている。」そう感じ始めたのは20年近く前になります。そのころよりもさらに簡単に命が失われていきます。通常では考えられないような事件も私達の社会が生み出した事件であって、自分自身と無関係ではないと思います。

自分のいのちも他の人のいのちも大切にできる子ども達を育てていくにはどうしたらよいか・・・これが「森の風」の始まりでした。
「森の風」で生活をしていると溢れるばかりのいのちと出会います。それでも昔に比べれば激減しているのだとは思いますが、都市部に比べるともったいないほどの環境です。

田んぼには何種類ものトンボが飛んでいます。クワガタやカブトムシもいます。水の中には水生昆虫、かに、魚達、タニシ、蛙・・子ども達は自分よりも小さないのちと出会い「捕まえたい!」という衝動が起こるようです。なぜか捕まえたいのです。昔の記憶・・人類の記憶を辿っているのでしょうか。子ども達といると、「狩猟」と「採集」の生活だ!と思います。虫や小魚を追いかけ、花を摘み、木の実を集め・・遊びます。そうしながら、子ども達は何を学んでいるのでしょう。何を獲得しようとしているのでしょうか。

既存の囲まれた園庭の中にいると見えてこない子ども達の必ずする遊びがあります。
水があれば水路を作り、水溜りを作り、水を管理しようとします。火があれば、自分達も火をつけ、育て、火を楽しみます。大地には穴を掘ってみます。水と混ぜて、泥をこね、何かの形にして遊びます。木の枝は何にでもなり・・・隠れ家が出来上がります。生き物は手に取りたいのです。花や木の実はままごとの材料になります。全て人として生きるために必要なことばかりです。

子ども達は遊びながら人間になっていくのです。
多くのいのちと出会い、あるときにはそれを殺し、「死」ということも感じます。
子ども達を取り囲んでいる溢れるばかりのいのちの中で、自分もそのいのちの一部であってその中に共に活かされている存在であることを、知識ではなく、理屈でもなく、自分自身の体で感じたこととして、魂に刻み込まれたこととして獲得していくのではないでしょうか。

6. 子ども達と暮らし

森の風

幼児教育の現場は「子どもの暮らし」の場所。
子ども達が教育を受ける場所と言うより、子ども達が中心となり自分達の「生活」を営む場所。
自分達で一緒に暮らしを営んでいくうちに人間として大切なことを学び取っていく、そのようなところだと思うのです。

自ら食べるものを蒔き、植え、収穫し、料理し、一緒に食べる。
それが生活の基本ですが、そのプロセスで天候の変化、いのちの循環、労すること、感謝すること、人との協力など大切なことを学びます。

2才の子達でも自分のことを自分でしようとし、5才の子も段取りを考えて、皆で協力することができます。

2~3歳は安心して生活をする。
4歳は自信持って生活をする。
5歳は責任を持って生活をする。

そのことを念頭に置きながら、保育者は子ども達が社会を作っていくための手助けをする役割ではないかと思います。

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